所懐

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“NHKスペシャル“いじめ”から、逃げない 3年2組 4か月の挑戦”を観た

「シンキングエラー」

大阪の小学校にて、小3の子がこの言葉を口に出していた事に「え?!」となった番組冒頭。小学生が割と抽象的な横文字な用語を口にしてる。

これは自分が思っているよりも、いじめ問題対策が進んでいるのか?と意外だったのと 若干の期待。今の小学校はここまでするのか?とも。

あるいは勘繰った視点だと、つま先立ちや背伸びしたような普通ではないようにもそれが見えた。*1 *2

番組中盤では、社会心理学でいじめの影響と防止の効果がパーセントで説明されてて、%という数字出せるくらいなのに「なんで?」と自分の境遇を憂いた。もし自分が学生の頃だったらそういう研究が適応された進んでる環境に居たかった。その説明の資料が2001年の発表らしいが、これでも日本とかまだまだなのかと思った。


これから、叙述的にもっと随想を書いていく。恐らくいろんな意味で読みづらいので覚悟しておくように。

ドキュメンタリー内で、2学期の冬休みに入る前の日だったか、いじめてる疑惑の子が、多分1対1?*3で、先生と対峙してる時の映像が、生々しかった。根源的に。

先生がその子にいじめの行為について追及してて、その子が感情的になった時に、その子の問題行動である、背後に何かある感じが自分はした。

それも、尻尾以上に首を掴むような、何か影的な物を見え隠れたしたすごいチャンスな感じがしたのに、それを後回し盥回し気味な 先生の「(今ここでそれを言うのではなく別件の時で)相談しましょ?」的なフェードアウト的な対応で、弱みの先に何かある感じがしたし。それがその後解明したのか?孕んでるままなのか不明。

もしかしたらその子の家庭に大なり小なり家庭問題があるかもしれない。あるいはその子の学校以外の日常での解消されていない鬱屈した問題があるかもしれない。それが垣間見れる機会だったのに。 あと、その対峙中の時とかのそういう子供の証言の記録はしないんだろうか?


その子が感情的になったあの瞬間が先生にとっては正念場で、先生自身が自分ともある意味勝負しないといけない部分だったのではないか?と。

あの瞬間の後に、その子の弱みを理解しようとしたり受け入れる態度の対応姿勢を取らないといけなかったのでは?

荒れてるような目につく部分だけを解決させようと思わないで、子供の今の心情だったりに目を向けたりそこで必要に応じて1回謝ったり子供の理由や背景や行動原理をちょっと理解をしてみるとかでもいいのでは?こういうのがうまくいくかは結構意外と難しいと思うがこれくらいあの時に舵を切らないといけなかったと思う。それしか解決への隙がなかったように見える。

たとえ原因が完全に分からなくとも、その子の持ってる理由や背景が断片的でも分かるような事を知るために、その子に関心を持って対話していく必要があの時にあったのでは?。

子供が自分で悩みを言語化できえれない事もあるし。
大人側の質問の仕方によっては、子供は思い切ってカミングアウトする事に躊躇う渋ってしまう(または逃げ的な)事もあるが、大人側は辛抱強い姿勢、子供の素直さを信じるしかないのだろうなと思った。


これ最悪の場合、誰もメスを切り込めないのは?誰(どの先生やどの大人)がメスを切り込むのか?

膿を出し切れなかった感じがあった。

これでも子に対して頭ごなし的気味な、表面的に、ただ指摘的な対応のように見えた。


また別件で別の生徒では、母から「いじめを防げ」的な事を言われて、それに従ってクラスのいじめ防ごうと自ら買って出ているような(本当はしたいのか不明の)女の子がいて、板挟みでストレスになっているように見えた。親子の関係・不理解とか何か見え隠れする不穏さが。


最悪、生徒だけで生徒に任せっきりで、表面的にいじめ言動(いじめ方・手段)、上の葉の部分だけ切ってるように見えた。

オープニング映像(アバンタイトル)でも女子2人の右側の子が、そのような事・割と鋭い指摘を言っていた覚えがある。


先生方が子供の前で、劇をやってたけども、自分の経験を受け売り的に、ただ縁をなぞってるだけではないだろうか?子供にとって実感できるものや、「人のふり見て我がふり直せ」な考えの足しになるものだったか?
そもそもそういう道徳や礼節の重要さの実感も生徒に備わってるか?子供に琴線あっての劇であるということを先生は理解してるか?

下手すると、先生が子供の前でやる劇っていうのは、(特に「ナマイキ」な)子供から見て陳腐というか魅力ないような洗練されてないように見えてしまう「俳優じゃないのに先生急に何してんだ?」「リアリティが無い」「子供騙しか?」みたいな。

あの劇の内容によっては劇をすることで諸刃の剣的なリスクが、負な記憶と共に何となく頭に浮かんでしまった。鼻に豆を詰めないで的な応用的悪用やあれをネタとして、いじめる子がいじめに組み込むかもしれない。またはいじめる子はその劇の内容を「古い」と思って目もせず、その先を行っているかもしれない。

ロールプレイングな効果を見出せてなく、先生たちによる劇を生徒の前でただやってればいいというような、履き違えをあの先生方はしてないだろうか?


「(校長含めた?)先生が4人以上の対応」や「職員室にいる先生同士のいじめの情報共有」などしていたが、最悪の場合、そのマニュアル対応な線引き以上のことは先生はしないような、傍観者効果的な、誰も泥臭い事をやらないで、生徒の問題が見過ごされてしまうのでは?と。

先生内でも「誰やる?」的な押し付け合い盥回しシワ寄せが起きていないだろうか?


起きかけてるいじめに対して何か問題認識してる子が後日のいじめ対策授業の時に手を上げてそれを言えるか?という提案を先生が1対1でやりとりをしていたが、

問題提起する事の不理解のリスク恐れや可能性を子は言及してたんだけども、先生その提案はちょっと変ではないか?本来、主導して教師がそれをするものなのでは?なぜ立場任せっきり的な感じな提案をしたのかは謎。教師とか何の役目なんだろう?と思った。

問題提起する子自ら、腹を括って提起・表明・意見に支持を得ようというのは、ちょっと酷ではないのか? 例えば表現者でもちょっと躊躇しそうな事を先生が勧めてたわけで。子にやらせるならどう転んでもいいように、先生が何もセーフティマットも敷かず保険もなく子を行わせようとしてなかったか? 一言でいうと「無茶振り」という言葉に近くなる。

というか、その子から言及されたリスクや恐れの悩みには、本来は何か教える立場としての先生でもあるのに特に何も教えないあるいは理解を寄り添わないまま流したの?

(この4段落部分はなんか見間違えた感じがするので何とも言えないが。)

ノンフィクションな社会派な一部の誠実な穿えれる作家・文化人はもちろん、
まだアニメの脚本家や漫画家や作家の方が、あの学校現場にいる先生やこの番組を作ってるスタッフよりも問題を捉えられる感じがした。
(フィクションもので挙げると、3月のライオンの作者や、おジャ魔女どれみ3期当時の脚本家陣・及びメインスタッフ、聲の形……)

そういう人らがこの番組を見たら、もうちょっと、背後にある問題を浮彫りにして明らかにできるんじゃないか?そのいじめてる疑惑の子の背後にある家庭事情とか。あの番組にそれを付け加えてもうちょっと世間の人らに対して考えさせる見せ方ができるのでは?

子供の弱みに寄り添えれる先生ってどれくらいいるんだろうな。

(大人=マジョリティ)子供というマイノリティという世界の中で起きている事に理解できるか?その子供の視点に立てれるか?

自分の経験を投影するくらい(※本当には生徒に重ねちゃいけない)、いじめられた事やいじめる事の重さを感覚的・感情的にも実感した事がある、いじめの重さ悲痛さを分かってるような先生って一般的な学校内にいるんだろうか?

わかりやすく言えば当事者の気持ちになれるか?

そういうのが先生達やいじめ防止に関わる大人がわからないと例えば、効果や機能しない形骸化したいじめ防止なシステムにならないだろうか?

たぶんいじめる子供はそれを搔い潜って脱法的に水面下でいじめる事もするだろうし。っていうか番組中盤か後半かの映像で子供の発言から察するに、小さくてフィルターから抜けてるようないじめが起きてなかったか?


子供って、外部から講演とか撮影取材とかで大人が学校訪問してる日っていうのは、ある一定の時間お行儀良くしてるしているんだったな…。と思い出した。

いじめる子なら猶更、大人の前ではずっとお行儀よくしている可能性がある。

ちょっと待て、撮影取材した学校って、常習的ないじめっ子がクラス内にいたのではないか? あの場合、主犯者ぐるみパターンのいじめっ子はいないだろうけども。


「一般的に学校のいじめの問題が起きたり事が大きくなってから対処される事が多い」後手後手っていうのは、つまり文字通り手遅れであるという解釈は自分はした。だからそのタイミングは「もう既に迫害や淘汰が起きてる」っていうように解釈もできる事に気付いた。

問題行動を起こしている子自体の調査(その子の原因や要因を探ったり整理していく作業も含む)って、教師はできないんだろうなと思ってしまった。超多忙であろうから。で、「学校(教師)が家庭に介入すべきではない」的な流れ。あとは「教師がする事なのか?」とか。

「個別の問題なので、回答は差し控える」のような既視感が。

個別の問題で連想されるのが、「一つの個別の問題の解決が他の様々な個別の問題に応用できない」的な、「解決する側が手法を使いまわせない」、ぶっちゃけ この「面倒臭さ・泥臭さ」、というのは、(社会的)ひきこもりや不登校もの問題にも通じてるような気がする。


問題行動に根がある子の問題って、いじめ防止な手解きを生徒らに教えて、子供だけに任せるようじゃ解決しないだろうし。

どこまで介入するのがいいか?とかでそれは「甘やかし」なのか?とか、「子供自身に問題解決させたほうがいい部分はあるのか?(能力的な育みとしてそうさせた方がいいのか?)」「子供自身がするべき問題解決ってどこまで?」「それにどこまで教師は手伝う?」とか。建設的に進めていく上で、なんかそういう事を人から言われそうな気がしたり疑問が浮かんだ。

余談だが、もし、完全に不快も無いいじめを0にするよりも、「ちょっとぐらい周囲の不快が分散してる方が、クラス全体としてうまくいく的」な、陰陽のようにグループ内に何か小さい負や犠牲が必須というのが、研究とかで明らかになったらどうするのだろう?と思った。
(そう思ったシーンでは、何かいじめ防止の効果がぎこちない嚙み合ってうまくってない様子だった覚え。)

日本で1960年代頃で「学徒と教師の人付き合い含む関係が対等であるべきだ」という声がもうあったと聞いたが、昭和の時代よりも対等になってはいるであろうものの、何か根底では、まだその時とあまり変わっていなかったりして…。


番組の最後、結局、問題は事なかれな(なあなあな)感じのままで、生徒は進級していって先生はそのクラスとは無縁になる終わり方のようだったが*4、もし未解決な生徒がいたら、問題行動をしていた子が持ってる問題はそのまんま持ち越しでキャリーオーバーしていくんだなと。その問題がどれくらい大きくなっていくか?まるでガン細胞のように。

この番組は「“いじめ”から、逃げない」というタイトルだが、以上の事らから、割と逃してしまってる部分があるのではないか?と。

ここまで「問題問題」と書いてきたが、問題を説かせる仕事でもある教師は果たして…、 って書くと週刊誌っぽい卑しい結びになるからやめる そういうはてブコメントもいらない


#### 放送事故について

NHKプラスで見てたが、放送事故があって、念のため日本電視台で確認した。

NHKプラスで番組終盤、体感数十秒以上映像が真っ黒(画面下部は地味に走査してる)で音声だけになる放送事故があった(うろ覚えだが字幕放送の字幕はその間ずっと最後まで付いてたか忘れた)。あまり放送事故を起こさないNHKにしてはこういう事故り方は珍しい放送事故に思えた。

映像がブラックアウト中、何か対応姿勢的に気になる事を言っていたが、「この放送事故はどういうことだろう?」の方が気になってか、内容が全然入ってこなかった。

放送事故は問題だが(それとは別に)、

#### 閑話休題

ここまで自分が述べたように、一見進んでいるあろう学校のこのドキュメンタリー内にも問題がいくつかあるように見えたと思ったし(それがただダメというのではない。考えさせられる。)。というのも撮影取材された映像から見える、学校側のもうちょっとこうできたであろう的や水面下的な問題。(ただ、例えば何度も再放送要望を推したいぐらいだとは思わなかった。)

どちらかというと、番組を見ててなんというか歯がゆかった。

番組開始前、番組表でこの番組を知って見ようか渋った。番組説明を見ると、個人的には食傷気味な典型的でいじめ被害による悲劇的破滅的な事件のドキュメントではなさそうで、そういう事件ではなく学校の取り組みが新しい切り口っぽいので見ることにした。だけど視聴後は、番組冒頭の期待とはまだまだな取り組みであるような印象。手探り中を見せられたのか?。


この記事は、番組の内容を見て覚えている記憶だけを頼りに、自分の思い込み、経験や記憶と雑多な知識(無自覚な偏見もあるかも)で書いている。今の所、番組録画もしてないし見直せないし(家庭の事情でNHK+に登録していない)、うろ覚えの番組を内容を元に書いている(もし「今どうしても見逃しを見る必要があるっていう場合」はネットにたまに非公式であがってる動画でも見ようかね?)。それと、言い訳っぽくなるが、ほぼ勢いや殴り書きで書いてた事もあり、あまり論理的に根拠を確かめてなかったりするような推敲してないような状態のまま公開してる。なのでうろ覚え諸々や言葉足らずも相まって割と論理的に滅茶苦茶で曖昧な文章が多い。


この記事がブログの最初の記事である。はてな匿名ダイアリーに書こうと思ったが、総合的に新規にはてなブログに書くことにした。なので、この記事はニワカなイナゴや野次馬や烏合の衆ら*5が誰も見てないであろう想定で公開している。どちらかというと注目されたくない。(注目されることはないだろうが万が一書いておく。 あと、こんな記事ブックマークして記事肯定コメントしてる暇あったら今まで過去に自分が付けたブコメ見返して反省してろ。*6 )


ここまで書いてきたが、自分の文章は謙遜無しで本当に稚拙だと思っている。これ(自分)よりうまく書ける高校・大学生なんてザラにいると思うし、

育ちの悪い、学がない書き方をしている。こういう凡で雑多な書き方をすると、人ってその長文をあまり読む気にならないと思う。「文面が頭悪そうだから読む価値なさそう・後でいいや・長文だし面倒」ってなるだろうし。これが他人の文章で自分が仮にいじめに関心があってこの記事を見つけても「長い・面倒くさいし読みたくねえな…」となる。(ちなみに、わざとあえて稚拙な文体で書いたわけではない。釣りでもない。「じゃあ書き直せよ」って言われても、もっといい吐き方あるんですか?*7 *8

自分で言うのも何だが、こういう稚拙的さに真実が見え隠れすると思う。絶対あるとは言えないが。

また、自分の考えも子供の考えのように浅い。というのも、「じゃあ何か解決方法考えてきて」と言われたら、見苦しい言い訳のような転嫁か、または、解決案を出したとしても、意識高い系な、浅い取るに足らない使えない下手すると論理が飛躍したアタマ悪そうな解決案を出すと思う。たまにそういう人を見かけたり、周りにそういう残念な人いるでしょ?ねえ? 自分もその一人なんだが。釣りじゃなくて本当に。*9

NHKは本当に、君の声が聞きたいんだろうか?

「聞きたい」と言いながら本心では「聞きたい(一部分だけ)」や、贔屓的な限定してないだろうか?。1人2人でも「ちゃんと」聞くのが大変なのに、こんなレベルの声が多かったら辟易し参るのでは?。

いじめられた側の記憶ってこんな記事文章みたいな感じで曖昧に残ってて、その曖昧さを基にどうにか知識と記憶を何とか駆使して時間を掛けて言語化文章化するとこうなる感じがするんだよ*10。この記事の番組内容を叙述してる段落部分の文章の曖昧さが、イチいじめられた(経験のある)側の受け取り方の表現だと今思った。

いやこの行の部分も多分ピンと来ない所があるな。「いじめられた側」を「目撃者(傍観者)」や「少数派」とか「横臥者」とか、「テーマに関心がある受け手」とかに置き換えて読んでほしい。

1回見たら殆どの人は記憶からフェードアウトする1時間近い番組に対して、こんな文を書いてて総16時間ぐらい経ってる。


一応「この記事を書いた人(自分)はどういう人か?」で誤解がないように言っておくが、この記事を書いてて楽しくないしどちらかというとつらい。自分は他にやらないといけない日常の事があるのに。

自分は公務員や当然専門職(専門家や表現者)でもないし、昨今巷で日の目を見るようになった発達障害者らでもない。

その答えのキーワードはこの記事内にある。勝手に探してろ。


(2023-05-08T16:30+09:00 追加:)
「じゃあ、お前が解決へ向けて何かやれよ」「じゃあ、お前が何か提案しろよ」とこの記事を読んだ人は思うかもしれないが、自分はゲームを作る側じゃなくて遊ぶ側だから、いちプレイヤーもどきの感想しか言えないのである。一朝一夕にゲームを作る側にもなれるわけもなく。作りたいとも思わない。それで「作れ」など無茶を言うのはあまりにも横柄じゃないか?

また、自分がもし先生や大人側の立場になると、ミイラ取りがミイラになる、という事を自分は一応頭にあるし、自分はもう半ミイラ化しているのである。それでも「いいから何かやれよ」など とやかく言うのなら、対象らも巻き込んで破滅を選ぶつもりだ。それしか自分はできない。そして「じゃあ破滅を選べ」と言った奴に言うが、それをお前が言った以上言った事も隠蔽せずそれを見てろよ、その悲惨さをお前が見て大きくするか小さくするか勝手だが言った以上お前の墓場までその記憶をずっと持って行けよ糞野郎。

*1:些末な余談だが、「これ小3の子がこの単語の意味を自分の腑に落ちた理解しているんだろうか?」「「シンキング」という音の語感から、考えという意味として腑に落ちてるか?」と思った。中高生ぐらいから腑に落ちてくとは思うが、当時小3の生徒は「シンキングエラー」という単語や意味を覚えているだろうか?。例えば「ドラゴンクエストで「ドラゴン」の意味はわかるが「クエスト」は何?みたいな。 その後、クエストの意味も知ったがそれ以上は「発音の由来、2単語を合わせて意訳した場合や題の由来などをそこまでは深堀りする発想にはなれない」みたいな。

*2:「欧米の手法」らしいが、骨組みでない肉付けの部分も用語とかローカライズが必要な部分があるんだろうなと。こういう断片的な様子の些末な部分で教師としての教え方っていうのに苦労があるように見える。

*3:それより前のシーンで、いじめてる子との対話は4人以上の教師と一緒にすると言っていたが、1対1のようだった。それはともかく、

*4:放送事故もあって集中して視聴できなかったので見た印象として正しく解釈してないかも

*5:人気エントリーとかにも対岸の火事のように口撃や侮辱やはてなスターの馴れ合いや釣り認定による人格否定や実質差別な偏見丸出しコメントを書くはてなブクマカ、女性蔑視や侮辱の応酬による馴れ合いや言いたい放題陰口便所の落書きトラックバックする増田

*6:またはてな匿名ダイアリーで似たような事が繰り返されるとするとid:hagexの死が浮かばれねえな

*7:そう書くと、ただ発散したいだけではないと釘を刺しとく。

*8:この記事の特に途中、感情に訴えけるようにも見える文面になっているが、本当は論文的な文面の方がいいのだろうと思うが抽象化できない。番組視聴時から感情移入してるよう(共感性羞恥的や杞憂)な見方をしてるのは否めないが、こういうのはそういう姿勢で思い巡らして見るしかないと思ってる。辛いけど。

*9:この記事の上段あたりにあった「たとえ原因が完全に分からなくとも、……」の行とか言い回しも含め怪しいだろうが。いかにもシッテマス的な。はあ。  そう書くと今度は「真面目系クズ」とでもか?

*10:まだこの記事内容の場合は一応理解できなくは無いだろうが、経験不足などで知見を得る機会がなかったり、訳あって推敲や添削をするのが甘くなる場合、もっと曖昧な文に出来上がっててこれより数段分かりにくくなってると思う。

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